1979年3月1日 チュードアがインドの電子音楽スタジオで作成した音源《Monobird》を用いたパフォーマンスをE.A.T.主催のパーティーで発表し、録音する。
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日付:1979年3月1日
小咄:
アーメダバード滞在時に、大嫌いなモーグ・シンセサイザーを使って作成した音源をチュードアはアメリカに持ち帰り、その後10年ほどにわたって《Monobird》というタイトルでたびたび演奏する。鳥の囀りのような短い音のパターンが繰り返されながら変化を遂げていくこの音源の特性は、チュードアがその当時取り組んでいた、四色のレーザーを音で動かすパフォーマンスにとりわけよく合っていた。1979年2月28日にE.A.T.は、ニューヨークの空き家などをアーティストのためのオルタナティブ・スペースに変える活動をしている非営利団体への寄付金を募るパーティーを行なう。ジョン・ケージからジョン・レノンにいたるまで街中の名高い芸術家たちの賛同を集め、前の年にオープンしたばかりの最新ディスコXenonを会場にした煌びやかな集まりの目玉としてチュードアのレーザー・コンサートが選ばれる。ニューヨーク市長までが参加した夜は盛況にはじまり、大勢の人と報道陣がディスコのダンスフロアを埋め尽くしていくなかで、チュードアは8時半ごろに演奏を始める。だが10分も経たないうちにレーザー・システムが動かなくなってしまう。レーザーを冷却するために水が必要だが、1979年のニューヨーク市の水のあまりの汚さは、汚物を取り除くためにつけられたフィルターをつまらせてしまったのだ。クルーヴァーがのちに苦々しく語ったところによると犯人は「うんこ(shit)」であり、この機械的な便秘によってチュードアの光と音のスペクタクルは中断を余儀なくされる。しかし、集まった観客は気づくそぶりさえ見せずに、プログラムはディスコという会場により即した内容に変更され、人々はDJの音楽に合わせて夜通し踊り、パーティーは結局大成功に終わる。ただし演奏できなかったチュードアは不満が残っていたようで、接続されたモジュール式の楽器をそのままに置いて、翌日また会場に戻り、レーザーも観客もない状態でパフォーマンスをすることに決める。空間の形状からサウンド・システムまでそれぞれの会場が持つ特性を演奏に取り込むことを常にしていたチュードアは、よくライブ・コンサートを公開レコーディング・セッションとして用いていた。とくにXenonは、10万ドルという当時のニューヨークのナイトクラブでもっとも高価な16チャンネルのサウンド・システムを誇っていたし、このチャンスを逃しては、実験音楽家が最先端のディスコで演奏する機会に恵まれることもそうそうないだろう。こうして1979年3月1日に、チュードアは録音のためだけに、無観客のレーザーなしレーザー・コンサートを空っぽなダンスフロアを前に行なう。じっさいセッションは録音されたが、それがリリースされることはなく、イベントを主催したビリー・クルーヴァーとジュリー・マーティンの自宅アーカイブで眠り続けることになる。
場所:
#米国
#ニューヨーク州
#ニューヨーク
関係者:
#デーヴィッド・チュードア
#Experiments_in_Art_and_Technology_(E.A.T.)
#ビリー・クルーヴァー
#ジュリー・マーティン
#タイプ:出来事_SIDE-B
#1979年